1.走りながら考えろ。

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●山本  佐藤先生は大学教員のなかではかなりユニークな部類に入りますね。一般的に、履歴書というのは読んでもつまらないものですが、佐藤先生の場合は興味深いと言いますか。

●佐藤  そうですか。自分ではあまり意識しませんが。

●山本  先生は現在でこそ東大教授ですが、何種類もの人生を歩まれているように思います。学生時代にさかのぼって伺ってもよろしいでしょうか。

●佐藤  私は弁護士として社会人を始めました。その後、ハーバードロースクールへと留学したあたりから、確かに人生の軌道が少しずれ始めたのかもしれませんね。

●山本  当時の日本の司法試験の合格率は二%以下。これに在学中に合格なさっているわけですが、余程優秀でいらしたのですね。

●佐藤  どうでしょうか。私は東大受験には三度失敗していますからね。

●山本 当時の司法試験は、優秀であってもなかなか合格できない試験であったと聞きます。司法試験に取り組んで失敗した場合、貴重な時間を費やすことになってしまうのでは、などと悩んだりはしなかったのですか。

●佐藤 失敗を考えて挑戦はできないでしょう。失敗した時のことは考えてなかったというのが本音でしょうね。

●山本 弁護士が今と違って希少であり、間違いなくエリートであった時代です。難関試験に若くして合格なさったのですから、大きく稼ごうなどとは考えなかったのですか。

●佐藤 そういう気持ちもなかったわけではないですね。実際、私は後にビジネスロイヤーとして、たとえばEBRDで投資関係の法実務にも携わりました。ですが、結局は別の道に進むことになりましたね。

●山本 佐藤先生は司法試験合格後、司法修習生時代に検事としてのスカウトを受けていらっしゃいます。同じ法曹でも、なぜ弁護士を選ばれたのでしょうか。

●佐藤 当時は、そして今でもやはり、自分は弁護士だろう、と。自分にはなにか、自由に活躍できる場所に行きたいという願いがあったように思います。

●山本 そうでしょうね。佐藤先生を見ていると、自由が感じられます。

●佐藤 まあ、周りに迷惑もかけるわけですが。その時の感覚、その時の考えを大切にしなければ、情熱は維持できないというのがあります。

●山本 その情熱は、今ではご研究に向けられているわけですよね。どのように現在へとつながってきたのでしょう。

●佐藤 UNTACの経験が大きかったですね。ここまで歪むかというほど、社会が混乱し、正義や自由ということを真剣に考えさせられました。

●山本 佐藤先生にとっての原風景はカンボジアなんですね。

●佐藤 それまで自分なりに学び培ってきた知識や常識というものが、まるで通用しない。混沌とした世界というんでしょうか。自分自身の価値についても考えさせられました。

●山本 佐藤先生は後に研究者の道に進まれてからまず「貧困と法」研究に取りかかられ、次いで、「平和構築」研究へと展開されるわけですが、その原点がカンボジアにある、と。

●佐藤 そうですね。研究というのはわからないことを知ろうとする作業なわけじゃないですか。わからなかったんです。カンボジアで起きていたことというのが。なぜそうなのか、ということが。

●山本 ポルポトを生み出した社会。その背景。原始共産主義。その後に残されたもの。確かに、歴史から学ぼうにもほとんど初めての出来事ばかりですね。何から考えたら良いのか、手がかりさえもないような状況だった、と。

●佐藤 私たちはどうしても目の前のことに釘付けになりがちです。激しい出来事であればなおさらです。しかし、現象の背後には必ず原因がある。私はそこで始めて「法」というものを真剣に意識したような気がします。

●山本 法律家の佐藤先生が、カンボジアで初めて「法」を意識する。なんだか不思議な話ですが、それはUNTACの人権担当官としてのご経験からでしょうか。

●佐藤 虐殺の現場検証にも何度も足を運びました。力が法を凌駕している。法の無力を感じると共に、しかしこれではいけないと強く思いましたね。

●山本 その辺りから先生の「法整備支援」への思いが生まれてくるわけですね。当時のカンボジアには法もなく、法の専門家もいなくなってしまった。

●佐藤 確かに、日本や先進国でいう法や法曹はほとんど存在しないという状況でした。人権というのは姿形があるわけではないので、もともとそれそのものを見たこともないわけです。法制度がしっかりしていれば、敢えてそれをもちだすこともありません。空気のような存在ですよね。だからその存在を感じることができるのは、法制度がそれを守らず、実際に人権がはだかで脅かされた時だというわけなんでしょうね。ただし、研究を深めていく過程で、それでも慣習法は存在していた、ただ私たち外部者が無知だっただけなのだということを思い知ることになります。

●山本 なるほど。不自由さのなかにこそ本当の自由がある、というような。不正だらけのなかで正義を真に希求する、というような。そしてまた、部外者には見えない正義があると。

●佐藤 研究もそうじゃないですか。ないから見つけたい。分からないから理解したい。私の出発点はいつも、現状への不満や違和感なんだと思います。その感覚を大切にしなければ、情熱は維持できない。本に書いてあることをなぞったって、出てこない知識や経験もあるんです。その感覚を大切にしたい。無知の知ということなのかもしれない、考えてから走るのはなく、走り終わってから考えるのでもない。ようするに走りながら考えることが大切なんです。

●山本 なるほど。シンプルですが厚みのあるお話です。佐藤先生のご研究に益々興味がわいてきました。

『2.法とは何だろうか。』に続く